モグラの銀幕ノスタルジー
汚れ戯なき悪戯 |
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| ワン フロム・ザハート |
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晴れた日に永遠が見える | 黒いオルフェ |
「最後の楽園」'57「チコと鮫」'62に続きオセアニア3部作の完結編として名匠
フォルコ・クィリチ監督が9年ぶりに発表した海洋アドベンチャーロマン。
壊れたカヌーとともにアラスカの流氷の上で意識を失っている傷だらけのポリネシアの青年が発見された。
彼は、どうやって15,000Hもの距離を旅して来たのだろう?
青年の名はタナイ。珊瑚礁の島に生まれた男は誰でも、土の無い島にパンの木を育てる為の土を求めて
たった一人カヌーで旅に出るのだ。
どこまでも続く青い海の上で何の煩わしさも無く自然の流れに従って魚を釣っては食べ、時には
命がけで鮫と闘い、嵐で帆もボロボロになって漂流した島では原住民の生け贄になりかけたが、
火山の爆発のおかげで、命からがらの脱出に成功。
また、ある平和な島では若い娘とのほのかな恋も芽生えたが、その娘をも置いてパンの木の為の
土をカヌーに積んで旅立たなければいけないのだった。
美しい自然につつまれた南大平洋の島々を舞台に、エンニオ・モリコーネの雄大な音楽の美しさが
ドキュメンタリータッチで描かれた素朴に生きる人々の姿を、よりいっそう魅力的に描いている。
クイリチ監督の訴えたかったところは、なぜ、この青年がアラスカまで漂流しなければいけなかったのか?
タナイは永い旅を終え、自分の島へ戻ったのだ。
しかしタナイを待っていたのは、土を待っていた人々の姿では無く、気を失うような閃光とキノコ雲だった。
このあまりにも突然のラストシーン。
タナイと美しい島々や青い海は無惨にもアメリカの核実験の餌食にされたのだ。
一体誰に、こののどかで平和な人々や生き物や美しい自然を突然破壊する権利があるのだろうか?
無益な戦争を廃止することができない文明が発展した国のおごりとしか思えない。
日本という国は、唯一の戦争による被爆国家だが、冷戦が終わった今もなお世界中で核実験は繰り返されている
ビキニ環礁の水爆実験では、人体実験でないかといわれる程の広島より1000倍もの威力が試され、
タナイと同じような島の人々が、後遺症に苦しみつづけてる。
被爆後北へ北へと流されてアラスカの病院で意識を取り戻したタナイは、病院を脱走し再び海へと戻っていく。
映画はこのシーンから始まるのであるが、誰もがタナイなら核実験なんて馬鹿らしい人間の罪の犠牲になって
死んでゆくのではなく、きっと美しいポリネシアの海へたどり着くことができるだろうと信じて止まない。
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。
劇場出口へ TOPへ VOL.5 抵 抗 の 詩 A BLOODY TALE 哀愁のメロディで詩情豊かに美しい映像で綴る戦争の悲劇 1970年ユーゴスラビア作品 脚本 トーリ・ヤンコビッチ キャスト 監督 ピリヤク ミラ・ストピカ 撮影 イルチ・ブイチェク ビーラ ゾリカ・ミロバノビッチ 音楽 ボリスラフ・コスチッチ 他
第二次世界大戦下、ユーゴスラビア クラエバッツの町で1941年に起きたナチスドイツによる8000人の
大虐殺を6、7歳の時に実際に体験したトーリ・ヤンコビッチが監督デビュー作として発表した作品だ。
涙なしでは見られない内容だが、決してかわいそうで終る映画ではなく、全編美しい詩情に溢れ、
時に笑いも生み出してくれる心のそこから暖かみで溢れた映画なのだ。
何がこの戦争の悲惨さを描いている中に暖かさをふんだんに感じさせるのか?
それはこの監督が自分の目でみたショック体験をその幼い時のままの子供の視点で描き通しているからだ。
「死」というものがまだよく解らない子供たちの目の前で殺されていく人を目の当たりにし、無邪気に
死ぬのは痛いのだろうか?と考える。訪ねられた祖父は「あっと言う間のことだ 待ってる間が苦しいだけ」
と答える。
レジスタンスとの戦闘の末死傷者をだしたドイツ兵は死亡者一人につき100人、負傷者一人につき50人の
クラエバッツ市民を銃殺すると言い、合計8000人の男性市民が無抵抗に殺されることになった。
除外された子供たちの中から隠れて一部始終を見ていた数人の子供たちも無言の抵抗をして大人たちと
ともに機銃の前にさらされた。
あの祖父に訪ねた少年も先に撃たれたおじいさんのそばまでたどり着き「じい様は痛くないといった
うそだ、痛いよう!」と訴えながら死んでいった。
子供たちのリーダーだった少年ピリヤクの恋人、少女ビーラの涙と共にあの赤く美しいケシ畑の中で遊んだ日の
事などが、可愛い哀愁を帯びたハーモニカのメロディーと共に溢れかえる。
「ピリヤク、カルレ、ゾーバ、ゾキヤ・・・」少年たちの名前を一人づつ呟くビーラと共に戦争が始ったから
と言ってくじけずに次から次へと状況に応じ、生きる為に働く知恵を生み出し実行する頼もしいリーダー
ピリヤクとその仲間達の辛いはずの日々を楽しみながら笑いを交え精一杯生き抜いた姿がだぶってくる。
そしてクラエバッツの虐殺された市民達の理由なき犠牲が戦争はやめようと我々に強く訴えかけてくる。
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。
劇場出口へ TOPへ VOL.6 ワン フロム・ザ ハート One from the heart フランシス・コッポラが描く大人のファンタジーロマンス 1982年アメリカ作品 キャスト 監督・・・フランシス・コッポラ ハンク・・・フレデリック・フォレスト 脚本・・・アーミヤン・バーンスタイン フラニー・・テリー・ガー フランシス・コッポラ レイ・・・・ラウル・ジュリア 撮影・・・ビットリオ・ストラーロ ライラ・・・ナスターシャ・キンスキー 音楽・・・トム・ウェイツ
ゴッドファーザーや地獄の黙示録など、血塗られた多くの作品を作って来たコッポラ監督がうって
変ってロマンチックなラブ・ストーリーに挑戦した意欲作。
ネオンまばゆいラスベガスの片隅で、何処にでもいそうな平凡なカップル、ハンク(フレデリック・フォレスト)
とフラニー(テリー・ガー)が同棲5年目の倦怠期を迎え、全く違う二人の性格がお互いついに我慢が出来なくなって
売り言葉に買い言葉でフラニーは家出する。
フラニーは絵に書いたように、自分の夢を満たしてくれるようなキザなピアノ弾き男のレイ(ラウル・ジュリア)と出会い
夢のようなダンスを踊らされ、もう夢中に。ハンクの方も可愛いサーカスの踊り子ライラ(ナスターシャ・キンスキー)が
まさか自分に気があるなんて・・。夢でも見ているかのように誘われて恋に落ちる。
しかし朝になってフラニーのことが気になったハンクは必死になって彼女のことを探し、寝込みまでおそって奪いかえすが
フラニーはすぐに彼女の憧れのボラボラ島へ、レイと共に行ってしまう。フラニーに戻ってもらいたい一心で、空港まで
追いかけて行ったハンクは、人目も来にせず「俺だって歌えるぜ」とへたくそな歌を涙ながらに一生懸命歌うのであった。
飛び立って行った飛行機を上空に一人寂しく帰ったハンクの家に、いつの間にかフラニーの姿が。
ああなんて素敵な大人のラブストーリーなのだろう!
所詮平凡な男と女の恋のいさかいなんて、犬もくわないお話を非現実的な舞台と恋を登場させて、夢から覚めた時平凡な
幸せの大切さを知るのである。
全編を通して二人の心を綴ったようなトム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの魅惑的なスローバラードがストーリーを
流れるように展開してゆく。
また、なんと言ってもナスターシャ・キンスキーの可愛いこと、つなわたりも玉乗りも実際に演じたそうだが、つかのまの
情事の後フラニーのことが気になってしょうがないハンクに、「サーカスの女は簡単に消すことができるのよ。」と自分から
別れてあげるいじらしさが、たまらなくせつない。
すべての撮影をコッポラ所有のゾエトロープスタジオでオールセットでビデオ撮影した後フィルムに落とすという、馬鹿げた
ことをした為に2300万ドルもの巨額がつぎこまれ、コッポラは一時窮地に陥ったようだが、そのおかげで、12万5千個の
ラスベガスのネオンが特に美しくとけるようだ。
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。