モグラの銀幕ノスタルジー
汚れ戯なき悪戯 |
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| ワン フロム・ザハート |
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晴れた日に永遠が見える | 黒いオルフェ |
2000年2月1日明るく可愛い笑顔で世界中の涙を濡らしたあのマルセリーノ坊や役のパブリート
カルボが54才の若さでなくなったという訃報がフェアリーへヴンにも届きました。
この映画は、モノクロとはとても思えない映像の美しさ、流れるようなメロディーが
有名なマルセリーノの歌も含め、映画全編を優しく包んでいる。
ここでいう悪戯とは、人間が本来持つべき優しい、人への思いやりから生まれる純粋な
愛の心からの行動のことだ。マルセリーノは日々生活を共にする神につかえる僧侶達をも
驚かす奇跡をその純粋な心から起こさせた。
みなしごのマルセリーノを5歳まで育てた12人のパパ代わりの僧侶たちの一心の愛情も
一度も会ったことのない母親への思慕には勝てないようだ。
友達すらできない人里はなれた僧院で想像上の友達マヌエルと楽しく遊び、彼の美しい
母親の姿に自分のママをだぶらせていくその思いの描き方は、観るものに感動を呼ばずには
いられない。
なんといってもこの映画の素晴らしい所は、少年の純粋な愛と思いやりが生んだ屋根裏の
キリスト像とのやりとりだ。
杭に打たれ傷ついたキリスト像をいたわり、お腹がすいてるのじゃないかとパンと葡萄酒
を炊事場から盗んでは運ぶマルセリーノ坊やの姿を通し、私達も神仏をあがめるだけでは
本当の奇跡は生まれないということを教えられる。
このことは、マルセリーノとの永遠の別れを通し、奇跡をまのあたりにした12人の僧侶達
にとっても同じ思いとして後世にまで伝えられるのである。
原作も素晴らしいながら、やはり監督のラディスラオ・バホダとパブリート・カルボ少年の
名演技が周りのすべてを動かしたのだろう。
このことについては、子供のお涙ちょうだい映画で名監督と呼ばれている人が近年
同作品を再映画化した際、これほどの感動を生まなかったことからもうかがわれる。
半世紀近くたった今もこの映画は観る人々に感動を与えつづけている。
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。
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20世紀も終わろうとしている今でさえ、世界中のあちこちで尽きることのない戦争がくり返され
ている。思えば、私達が教科書で学んだ歴史というものは、すなわち民族の宗教上の争いを学んだ
ようなものだ。あまりにも残酷で救いのないこの映画を、あえてフェアリーへヴンで取り上げたのは自分の幸せだけを求める事の愚かさがいったい何を生むのかを世界中の人々に気付いてもらう為で
あり、愛だの平和だのととなえるよりもこの衝撃の映像を体験して心に誓ってもらいたいからだ。
アフリカの独立戦争を中心に、古き良きアフリカにさらばと告げねばならないその脱皮の苦しみを
ドキュメンタリータッチでリアルにクールに描いている。
雄大な自然の中で、動物達と共存してきた永い歴史を無惨に打ち砕いたものが、独立と内紛であった。
様々な民族の内紛により何百万の人々と動物達の命を次々と奪っていく残酷な映像は、直視できる
ものなどないに等しく、なぜこのような映像を見なくてはいけないのか?いったい神はどこにいるか?と誰もが疑問に思うだろう。が、その残酷な映像とは対照的に「モア」で有名なリズ・オルトラーニの美しい音楽が交互に折り込まれ、雄大で美しい自然の中の動物達や平和な人々の姿、また野生動物保護委員会の救出シーンなどとそのメロデイが、これ以上美しい映像はないのではと思わせる程に優しく私達の心に問いかけるのだ。神をなくすものこそ人間の欲望だと。
私達は、地球上のすべてのものに対して、愛とやさしさと勇気を持って生きなくてはいけない!
そんなエネルギーが湧いてくるような作品だが、やはり、あまりの残酷さにこの映画を見る勇気も必要かも知れない。
イタリアの週刊誌エスプレッソの一流記者出身のヤコペッティ監督は、生きていれば、もう80歳(2000年現在)になるはずだ。残酷映画というイメージばかりが前にでているが、これほどの愛情溢れる作品にその後なかなかお目にかれないのが残念だ。
しかし、この作品が作られてから35年(2000年現在)が経つというのに、いまだ、この映画に登場しているルワンダのツチ族とフツ族の内紛は続いている。これはあまりにも悲しいことだ。
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。
(この作品映画監督グァルティエロ ヤコペッティさんは2011年8月17日、ローマ市内の自宅で91歳で亡くなられたそうです。 1919年9月4日生まれなので後少しで92歳の誕生日を迎えるところだったそうです。ご冥福をお祈りします。)
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空が大好きな監督アルベール・ラモリスによる34分の短編映画
息子のパスカルが演じているのが赤い風船と友達になった少年。1952年の「白い馬」では、
ようやく歩けるぐらいの赤ちゃんだったのに、ここではしっかりとパリの街に足を一歩一歩踏みしめて、赤い風船と一緒に歩いている。
ある日、朝もやの中ひとりぼっちでいる赤い大きな風船を見つけた少年は、しっかりとひもを握って学校へと向かうが風船が邪魔で電車に乗せてもらえない。でも手を離せば飛んでいってしまうので、電車に乗らずに学校まで走って行く。雨にぬれたら道行く人に風船だけを傘に入れてもらう。
少年の風船に対する思いが伝わって、風船の方もこの少年の事が好きになったようだ。
授業が終わるまでずーっと少年が戻ってくるのを待っていて、その時から少年と風船の微笑ましい
愛の交流が始まるのであった。
学校の友達とも遊ばず、アパートにいるのはお婆さんの姿だけ、この環境の中できっとこの少年も
ひとりぼっちだったから、風船とこんなに仲良くなれたのだろう。
ほとんど会話のない映像だが、美しいパリの風景や行き交う人々と躍動感溢れるカメラワークに交え優しく変化にとんだ音楽がすべてを語っているようだ。
少年の風船に嫉妬する悪戯小僧達に風船を割られてしまうと、なんとパリ中からこの少年のために赤、青、緑、オレンジと色とりどりの風船が集まってくる、その映像のなんと可愛らしいこと。 いっぱいの風船につつまれて高く高く飛んでゆく少年を通して、世の中の嫌なものから解放されて
自由に生きるんだよ! そのようなメッセージが込められているような気がしてくる。
この作品はカンヌ映画祭上映時には、最初のシーンから拍手の連続で最後は場内総立ちになったと、それほどに何かを感じさせたと聞いている。
ラモリス監督は、ヘリコプターによる空撮を発明し空からの作品をその後幾つか製作したが
その撮影中に事故に会い墜死してしまった。48歳の若さだった。
日本にも、風船おじさんという人がいたけれど、この映画に憧れていたのではないだろうか?
古い映画とはいえ、永遠の名作はいつまでも永遠だ。
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